令和5年10月25日 ホームページをリニューアルしました

【皇室だより】皇室と沖縄文化(月刊誌「祖国と青年」平成4年4月号)

祖国と青年論説・オピニオン

■「海上の道-沖縄の歴史と文化」展をご覧に

天皇皇后両陛下は二月十日午後、東京国立博物館で開催された沖縄復帰二十周年記念特別展「海上の道-沖縄の歴史と文化」(同博物館、読売新聞社主催)をご覧になった。

会場には、南方の島々との交流をうかがわせる先史時代の貝製品や王朝時代の文化財など二百点以上が展示され、沖縄にご関心の深い陛下と皇后さまは、この日も説明役の専門家にご質問を進発され約一時間にわたって熱心にご覧になった。

■沖縄の文化に対する無知へのご憂念

特別展の会場に足を踏み入れるとまず、沖縄の地図がある。九州本土よりも台湾との距離の方が短い。展示を見進めると、「貝塚時代」「グスク時代」など沖縄独特の歴史区分。古琉球の時代の展示に進むと琉球王朝の系図が掲げられている。沖縄の経てきた歴史、その文化の特殊性をまざまざと見る思いがする。

陛下は昭和五十年十二月十六日の記者会見で次のように述べられている。この年は沖縄で海洋博が開かれた年であった。

「気になるのは、沖縄には他の地域と違った歴史、文化があるのに、学校教育の中にほとんどそれが入っていないことです。将来学校教育の中に入れるべきだと思います。沖縄の歴史は心の痛む歴史であり、日本人全体がそれを直視していくことが大事です。避けてはいけない。(しかし現実は)琉球処分の時代から戦後の復帰まで、私達はあまり学んできたとはいえない。海洋博が沖縄を学ぶことの導火線になればと思います。これからも機会があれば何回も行きたい。」

「沖縄が教科書にどの程度出ているのか、この春調べてもらったが、非常に少ない。『おもろさうし』など文学として取り入れたら、と文相に話したこともあります。沖縄の百万の人と他の地域の人と共通の基盤があれば、話し合いの基になる。その基礎がないと理解ができてこない。」

「おもろさうし」とは、一五五四首の琉球歌謡を集め、沖縄の万葉集ともいわれる一大歌集である。この度の特別展には琉球王家に伝来の現存最古の写本である尚家本「おもろさうし」が展示されていた。

■沖縄の言葉への深いご造詣

「市の名前は、確かヒララと思いますが、校名はタイラですか、ヒララですか。」

昭和三十八年から続いてきた沖縄の子供達との御接見の場で、皇后陛下が先島(沖縄の離島)の子供達に最初におかけになったお言葉である。平良市の名前を正式に「ヒララ」と読める人は沖縄の人でも地元出身者以外はあまりいない。沖縄に対する尋常ならぬご造詣の深さが拝される。

天皇陛下が大切にされている一冊の大学ノート。それには歴代の琉球王の詠んだ琉歌がびっしりと並んでいる。三千首にのぼる全集の中から、ご自分で一つひとつより抜いて書き移された。このノートの言葉遣いを参考にして琉歌をお作りになるという。

陛下が初めて琉歌をお詠みになったのは、昭和五十年夏、沖縄国際海洋博開会式ご出席のため沖縄の地を初めて踏まれた直後である。沖縄の古典を教わっていた沖縄文学者の一人を御所にお呼びになって、「これで琉歌になっていますか」と尋ねられた。

花よおしやげゆん人知らぬ魂戦ないらぬ世よ肝に願て
(花を捧げましょう人知れず亡くなっていった多くの人々の魂に対して戦争のない世を心から願って)

魂魄之塔(こんぱくのとう)-弔われぬ死骸がまだ島のあちこちに見られた敗戦直後、生き残りの有志の人々は散乱している遺骨を集め、敵味方隔てなく納骨し、鎮魂の塔としてまつった。その塔に、献花された時の思いを詠まれたものだ。言葉遣いが少し硬いのでは、と学者がアドバイスを差し上げたところ、数日後、再びその学者をお呼びよせになって言われたという。「あの場に立った時の気持ちは、これでしか、言い表せないんです」。痛切な御心である。

その地に古くから伝わる言葉を学ばれ、その地の悲劇の歴史に思い寄せられて、鎮魂の歌を詠まれるーこれ以上に深いその地への敬意の心はありえない。文化への理解、とロで言うのはやさしいが、このような痛切な陛下のお心が、多様な日本文化が守り継がれていく根本の力となっているのではないか、と思われるのである。

 

タイトルとURLをコピーしました