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「万世一系」は神話に繋がる系譜 皇室と国民の美しい絆を守るために(月刊誌「祖国と青年」平成18年4月号 )

祖国と青年論説・オピニオン

京都大学教授
中西輝政

■秋篠宮家のご慶事は人智を越えた神々の計らい

本日の建国記念の日に先立つ二月七日、秋篠宮妃殿にご懐妊の兆候がおありであるとの発表が宮内庁からありました。多くの日本人が本当に心の底からお慶び申し上ているところではないかと思います。

このように申し上げるのは不謹慎かもしれませんが秋篠宮家のご慶事によって、政治の場における皇室典範論争は一旦水入りとなりました。これは、何か人智を越たこの国の神々の計らいのような、誠に神秘的な感に打たれます。三笠宮寛仁親王殿下は「この歴史の一大事を真に考えてもらいたい」とお述べになりましたが、この度ご慶事は皇統の偉大な伝統をいかにして守っていくのかしっかりと議論しなさいと、私たち国民に対し示されていように思わずにはおれません。

昭和天皇が崩御され新しい平成の御代になって早十八年、今、皇室の未来に深く関わる問題が起こっています。明治以来の近代日本に、さらには悠久の古にまでさかぼる皇室のご系譜というものを、二十一世紀の世界の中どのように捉え直すべきか。新しい時代に向け、皇室のゆるぎない二千年の伝統を戴くこの国の在り方をどう取戻し、次の世代に伝えていくべきか、今私たちに問われています。そういう意味で、今年は歴史的な「建国記念の日」を迎えているのであり、このときに際し、私たちは建国の歴史を一層偲び、この国の在りようというものを深くか大きく考えていかなければならないと思います。

今般のご慶事が知らされる以前の皇室典範問題に関する小泉政権の混迷した取り扱い、そして混迷した国民世論に明らかになったのは、ご皇室の本質を今の日本人が余りにもわきまえていないという実態です。皇室に対するマスコミを中心とする浅はかな捉え方、また、教育の場でも政治の場でも皇室を蔑ろにしてきたそのつけが今般の混迷となって表れたのです。

しかし、この問題が大きくクローズアップされ、議論がなされることは、逆に言えば日本の甦りのチャンスでもあります。昨今のニュース番組を見ておりますと、解説者が女性天皇と女系天皇の違いを説明したり、「女系天皇は神武天皇以来二千六百六十六年、かつて一度もなかった」などと解説したりしています。われわれ学者の世界では、二千六百何年という数字について否定的な議論が延々となされてきました。しかし、今般の皇室典範の議論によって、テレビで「二千六百六十六年」という皇紀がどんどん飛び交っている事態は、これまでの戦後教育の中ではまったく考られなかったことです。新しい世代が皇室、天皇というのはそういうご存在であったのかと気づかされるような、いい意味での影響へと繋がっている。これは今般の皇室典範をめぐる議論の中から出てきた一つの余沢とも言えますが、人智を越えた意図せざる日本の甦りへの計らいを感じております。

私は、皇室典範はぜひ改正すべきだと思っていますが、「有識者会議」の報告書が提示し、今般政府が提案しているような改定はまさしく改悪と言わざるを得ません。昨年末から議論が囂(かまびす)しくなり、心ある日本人の憂いの輪が静かに広がり、政治の場にも届くようになりました。内閣や国会の中からもこの改定は明らかに改悪であり、有識者会議の報告書は到底容認できないという声が起こってきました。しかし、政府与党、特に小泉首相はその声に耳を貸さないような態度を取り、大変心配な中で平成十八年の年明けを迎えました。私も一月にも何度か上京し、集会などでこの問題についてもっと議論をすべきだと訴えました。

この法改正を急いでいるのは与党の一部、そして霞ヶ関の各官庁省庁の現在トップにいるような官僚たち、すなわちちょうど私と同世代にあたる「団塊の世代」であります。昭和三十年代、四十年代の最もひどい日教組教育を受け、あるいは百パーセント東京裁判史観に基づく歴史学、さらに丸山真男に代表されるようなマルクス主義的左派イデオロギーに影響を受けた「反国家的な風潮」が学園をずっと支配していた時代に青少年期の教育を受け、戦後の日本にあった諸々の負の側面を人一倍受け継いだ人物たちが、今日本の指導的な地位についています。

日本のエリートは本当に情けない状態になっております。同世代の一員として私はこのことを実感しております。そして、その最大の欠点は皇室観の「歪み」というよりは、むしろもう「欠如」と言っていい。そして、その根幹にあるのは「歴史認識の誤り」であります。私は、これまで日本の外交の体たらくを正すにはどうすればいいのか散々考えてきました。本格的な対外情報機関が必要だとか、いろいろなことを提案もしてきました。しかし、詰まるところ、外務省を中心とする官僚の、大変に歪んだ歴史観の回復をやらなければ、どんな大改革をやってもだめだと思います。

■戦後六十周年、新資料による歴史の見直し

しかし一方で、私はよく「六十年周期説」という話をしますが、国家は六十年を一つの節目として、その国の本来の「文明の再生力」、つまりその国の歴史を連綿と続かせてきた大きな力に回帰します。昨年戦後六十周年を迎え、そういう力が目覚め始める時期でもあります。これを「日本人のDNA」と言う人もいますが、一見、大きな断絶を画すような「歴史の大変化」があっても、六十年経つとその国のより深い連続性を確保してきた文明的なDNAがもう一度目を覚まし、現代のわれわれに自覚を促す動きが自然と起こってくる。

特に近年は、六十年前の大東亜戦争の歴史を巡って、いろいろに言われてきたこれまでの学説が片っ端からひっくり返るような新事実が次々と出てきています。それで、私はその資料を取り寄せるために、ワシントン、モスクワ、ロンドンなどの文書館に足を運んでいます。

例えば、昭和三年に「張作霖爆殺事件」というのが起こり、当時「満州某重大事件」と言われました。これは東京裁判の場で、日本の関東軍が張作霖を爆殺し、そこから満州侵略が始まったとされ、昭和三年から二十年までの十七年間の日本の「侵略」を裁く起点となりました。その張作霖爆殺事件が、実は日本軍ではなく、当時のソ連のコミンテルンやGRU(赤軍情報・特殊工作局)が行ったという資料が、今複数出てきております。現在、モスクワヘ行って調査しておりますが、これはかなり確度の高い情報です。

私もイギリスの情報部の歴史を専門的に勉強してきましたが、当時の資料を読んでると「張作霖爆殺は関東軍がやったと日本の指導部は思っているようだ」日本の情報能力は非常に低く、これは与しやすい、というようなことが書いてある。爾来、十年ほど前からずっとこれはおかしい、どういうことなのかとの思いを深めておりましたが、今般それを裏付けるソ連軍の公式資料、情報部の文書に基づいた研究成果が出始め、それを元にした歴史書までいくつも出版されています。この論議が今後どうなってゆくかわかりませんが、大変注目されるところです。同様の事例が他にも沢山あります。このように今、歴史が必然的に見直されていかざるを得ない流れが六十年を迎えて急に数多く浮上してきました。

■皇室典範改定の策動は止まつていない

皇室典範改正法案の今国会での上程がほぼ見送られたことは、これまでの流れからいえば、まさに「大逆転」です。しかし、有識者会議の報告書に添った法案を準備しようという霞ヶ関、あるいは一部の与党の動きは決して止まったわけではありません。ある消息筋からいろいろ聞き及ぶところでは、この間に世論操作をして、彼らにとって一番有利なかたちでこれをもう一回浮上させようと企てる動きがあります。畏れ多いことですが、彼らは秋篠宮家にご生誕になられるお子さまが仮に内親王であられたら、一気呵成に棚上げになっている法案を臨時国会に提出しようとしています。あるいは前倒しも考えられる。

ある記者の話では、不遜不敬の極みですが、ご生誕の前に超音波で性別を鑑定し、それによって九月以降のこの問題の方向の戦略を立てようという動きが霞ヶ関に見られる。まことに由々しきことですが、ご皇室のお側で政務としての役割を務めなければならない官庁の中に、霞ヶ関の一部の省庁から出向官僚というかたちで入ってきており、彼らが霞ヶ関の省庁を横断するかたちでこの問題を数年前から計画してきたのです。

表面上の動きだけ見ておりますと、この皇室典範の問題は九月の秋篠宮家のお子さまご生誕までは「水入り」ではないかと思ってしまいますが、この夏ぐらいから日本がおかしくなる可能性は十分にあります。あるいは予算の成立する三月~四月ぐらいから、首を傾げるような議論がまた起こってくるかもしれません。そういう危うさが残っており、決して気を許してはならない。

私のそういう見方が杞憂に終わることを望んでおります。そして、何をおいても秋篠宮家に親王のご誕生が切に望まれます。しかし、今の霞ヶ関、与党政治、マスコミの一部の流れを見ておりますと、仮に秋篠宮家に親王がご誕生になったとしても、「男子ご誕生は大変おめでたいけれども、その方お一人に皇位継承を委ねてしまうことはやはり不安定である」ということで、有識者会議の報告書がもう一度息を吹き返してくる可能性は十分にある。そういう現実が一方にあるということを、心ある日本人にぜひ知っておいていただきたいのです。

秋篠宮家のご慶事が伝わったとき、朝日新聞、毎日新聞などは、「これは一旦水入りだが、女系容認という典範改定の動きを決して止めてはならない」という論調で記事を書いています。小泉総理はまだ諦めていないということまで書いて、何とかこの火種を残しておこうとしている。そういう意味では、親王ご誕生ということであっても、状況はますます厳しくなるという事態さえ考えておかなくてはなりません。まことに残念なことでありますが、こういうことを口にせざるを得ない状況が一方にあるわけです。

この水面下の動きは、少なく見ても二、三年は準備を重ねてきた動きであり、しかも、皇室に対する基本的な姿勢を持たない者が何人も関わってそれを推進しているということであります。みなさんには、この問題についての今後の取り組みの心構えをご自覚いただきたいと思います。

■有識者会議の各委員の本音

昨年の『週間文春』十二月八日号に、名前を引用しないという条件で、有識者会議の委員が報告書を出した後の気を許していた時期にかなり本音でしゃべっているインタビュー記事があります。委員の各氏にインタビューしても「連綿として続いてきた万世一系の歴史の重みは、ほとんど顧みられなかった」という記者の感想の後、ある委員の次のような発言が紹介されています。

「皇室の歴史は、“何となく男系”でつながってきただけだと思います。明治以前は典範もなく、男系男子で繋がなくてはいけないという規則があったわけではありません。側室が山ほどいて、たくさん男の子がいれば、当時の男性優位の社会では、男の子が継ぐと考えるのが当然ですから」

この程度の意識なのです。テレビで街を歩いている若者の意見を流している程度の意識に過ぎない。江戸時代後期の天明・寛政期、西暦で言えば一七八〇年代に先立つ時期に皇位継承の危機がございました。「側室が山ほどいて、たくさんの男の子がいる」などとは、歴史を無視したとんでもない論議です。近代医学が導入されるまで、乳児死亡率はとても高かったわけです。

男系男子を続かせなければこの日本の皇室の道統は成り立たないというのが、千年、二千年にわたって連綿と続いてきた日本民族の「文明としての意識」でした。従って、あらゆる困難を乗り越えて男子継承を続けてきた。それが傍系継承ということであります。父方の血筋を何親等も辿り、場合によっては何百年も遡っていき、そこから男子継承を守り抜いた。これは世界の王家の歴史に類例がありません。

また、驚くべきことに、「皇室がなくなっても日本はどうにもなりはしない。戦争が終わって日本は百八十度まるきり変わったんです。皇統の維持は文化財保存の問題と同じで、政治の問題ではありません」などと言った委員もいる。全くとんでもないメンバーです。

さらに、彼らは「男系維持派は勝手に言っていろという感じです。男系男子にこだわれば皇太子で終わりです。どこかから男系男子を持ってくるといっても、六百年前に分家した旧宮家しかないんですよ」と言い、「六百年前に分家した旧宮家」というキーワードを自分たちの論理の唯一の支えにしています。しかし、これは歴史的に見て大変不正確な言い方です。第一、東久邇宮、竹田宮、朝香宮、北白川宮の四宮家には明治天皇のご息女が嫁いでおられ、昭和天皇のご息女も東久邇宮家に嫁いでおられます。また、「分家」ということ自体、これは近代人の考え方です。近代的な家族、つまり西洋的な「ファミリー」の単位の存在ではなく、何十という家族の系譜をまとめた、歴史学の言葉で言えば「氏族」というのが、皇室の本質であります。

■アメリカは戦争中から日本書紀への攻撃を企図していた

万世一系の皇室を表現するとき、「神武天皇以来」という言い方がよくされます。二千六百六十六年前の二月十一日、辛酉の旧暦元旦、大和の畝傍山の橿原の宮に神武天皇はご即位遊ばされました。まさに日本の始まりであり、千三百年前の日本書紀が明確にそのことを謳っています。しかし、戦後の歴史学者は、この日本書紀に難癖をつけ、したり顔で論じてきました。

近年、これまで極秘だったアメリカの日本占領政策を巡る文書が新しく公開されており、その中からアメリカ政府がミッドウェー海戦の一カ月前、昭和十七年五月に書いた諜報機関の文書が出てきたのですが、それを読むと、何と「日本の国家主義、皇国主義の根幹はどこにあるのか。それは日本の皇室と国民との関係にある。日本書紀という史書をいかにして日本人の教育や学問の研究の中から追い出していくかが大事だ」という趣旨のことが書いてある。これはハーバードーノーマンというソ連・コミンテルンの工作員だった学者らの意見が、アメリカ政府に入り込んで影響を与えて書かせたものです。戦前の日本の歴史学界でも、例えば津田左右吉などが早い時期に日本書紀・古事記について批判的に書いていましたから、それを見てアメリカの学者は日本書紀を決定的に毀損してしまおうとしたのでしょう。日本書紀は全く信用できない書物だと思わせることが、日本人を立てなくし、日本をアメリカにとって脅威とならない国とするその大事な手立ての一つだと書いているわけです。こうした見方は戦時中の早い時期からあり、日本と戦争する前から「日本を占領したらこのように変えてやろう」という考えが既にアメリカ側にあったことを示唆しています。

また、その文章の一つ前には「客観的に見て、日本の皇室の伝統は、日本民族にとって紛れもなく大きな資産である」と書いてあります。この点では、彼らはよく分かっていたのです。よく分かっているからこそ、皇室は無くなってほしいということなのです。そこで、日本書紀への信頼を失くし、日本の歴史学を変えてしまうという選択肢を思いついたわけです。これは、戦前日本に何年も住み、東大などで専門的な研究を重ねたような欧米人の日本史研究者なども大勢集めた占領政策の立案チームによって作成されました。

■十一宮家の臣籍降下に対する昭和天皇の御心

戦争が終って占領が始まると、GHQは旧皇族に対して経済的に締め上げていく方策を出してきました。この方策は戦時中の文書にも出ておりますが、戦後になって実際に「皇室経済法」という立法を日本政府に指令します。そして、焼け跡で食べ物もないようなときに、「この皇室経済法が施行されれば、宮家には九〇%もの財産税が課されることになる。皇族であり続ける限りあなたたちは生きていけません」という脅しをかけ、昭和二十二年の十一宮家の臣籍降下という方向に繋がっていくのです。

われわれにとって本当に大切なことは、この六十年前の旧宮家の臣籍降下に繋がっていった歴史の流れを再認識し、その時占領軍は何を考えていたのか、そして当時の日本人はどのように感じたのかを受けとめることです。とりわけ、先帝陛下が臣籍降下という宮家の悲運をどのようにお考えになり、われわれ後の時代を生きる者にどのようなご遺志を残されたかに思いを致さなければなりません。

昭和二十二年、昭和天皇は皇籍を離れられる宮家に対して、「私としては今までと少しも変わることなく、以前同様に思っております」とお述べになり、併せて加藤進宮内府次長は、昭和天皇の意を体して「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとのご自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい」と述べました。この思いを今われわれはしっかりと受けとめ直さねばなりません。

戦後、マッカーサーは占領政策に利用するために、確かにある面では皇室を存続させました。連合国の中には即時に天皇制を廃止すべきだとか、東京裁判で昭和天皇の責任を問う訴追をさせるべきだという声までありましたから、マッカーサーは日本の国にとって、皇室にとっての「恩人」であったという見方は、その限りにおいてはそうであったかもしれません。

しかし、数年前に公開された文書を見ますと、やはりアメリカは特に日本の皇室の皇位継承の問題を研究し、その問題についてもっと深刻に考えていたことが分かります。一九四六年、昭和二十一年当時、まだCIAができる前の政府情報機関の解説文書を見ると、これははっきりとは書いておりませんが、行間を読めば「日本の皇室には宮家が多すぎる。皇室の藩とと言われた華族の廃止と一体になるかたちでこれを極限することにより、将来的に皇位継承は二世代、三世代後に難しくなるであろう」という趣旨が明らかに見てとれます。宮家の「極限」という方向を示唆しているのですが、極端に減らして自然に立ち枯れに持っていくのが一番望ましい方向だというわけです。占領軍の側にこういう長期的な戦略的思考があったということは是非知っておいていただきたいのです。

■神の系譜に繋がることが皇室のアイデンティティーの核心

今日は建国記念の日、神武天皇の「建国の偉業」に思いを馳せる日ですが、神武天皇は何ゆえ尊いのかということを改めて考えてみたい。今日、多くの学者が、また面白いことに新しい世代の古代史学者がこの国の建国の礎を据えられた神武東征の事業を、その年代については異論があるにしても歴史的事実であると認め、受け入れるようになり始めております。

しかし、それ以上にわれわれが今日のこの日に考えるべきことは、神武天皇の曾お祖父さまに当たられる瓊瓊杵尊が天孫降臨、すなわち高千穂の峰に天下られ、それに際しては天照大神から三種の神器を戴かれた。このような神話があって、神武天皇の建国という大事業があったということです。つまり、日本の皇室は神武天皇に繋がるわけですが、その先は神の系譜に繋がる。これが日本の皇室のアイデンティティーの一番核心となるものなのです。だからこそ、皇位継承に際しては、どんな苦労をしてでも何代も遡って男系男子を探してきたわけです。例えば六世紀の継体天皇のご継承では、十親等も遡っていき、そこから十親等降りていく。そんな遠い遠い傍系から神武天皇のお血筋を引く継承者を探してこられた。

また、古代には近親結婚の事例が多々あります。それはなぜか。外からの男系の血が入ってはいけないからです。皇女をどこかに嫁がせられるときに、その嫁ぎ先との関係が蘇我氏の例のように政治問題になり、天皇家がその家系の連続性を失わさせられるような危機があったから、そういうかたちで継承の純粋性を守り抜いたわけです。

そこまでして世界に類例のない継承の方法を二千年にわたって続けてきた最大の理由は、「神に直接に繋がる系譜」だからです。「神話にまで遡る系譜」ということが、「万世一系」に非常な重みを与えるわけです。そして、これは昭和の敗戦においても、先帝陛下の一番大切にされた皇室の基軸でもありました。

昭和二十一年元旦、「新日本建設の詔」が発表されました。戦後の歴史学者は「天皇の人間宣言」と言っていますが、この詔は冒頭に「五箇条の御誓文」が掲げられてあります。この点について、昭和天皇は後に「それが実はあの時の詔勅の一番の目的なのです。神格とかそういうことは二の問題であった」「民主主義を採用したのは、明治天皇の思召しである。しかも神に誓われた。そうして『五箇条御誓文』を発して、それがもととなって明治憲法ができたので、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います」と自らお述べになっています。

GHQもときの幣原内閣も、当初はこんな余計なものは外すようにと圧力を加えます。しかし、昭和天皇は断固として、これが日本の民主主義の考えの原点だ、国民が自信を持って新しい日本をつくるために、日本の国に古来からある民主主義の精神をもう一度しっかり意識させることが大切だという思いで書かれたと、はっきりお述べになっているわけです。

そしてもう一点忘れてならないのは、当時の侍従次長が述べていることですが、昭和天皇は占領軍が「天皇は神ではない、人間と言え」と圧力を加えてきたことに対し、生物学的には人間には違いないので「人間であると言うことには吝(やぶさ)かではない」と応えられました。占領軍はさらに「自分は神の子孫ではないと言え」とまで要求を加えましたが、しかし昭和天皇は「皇室の系譜を遡れば神武天皇から瓊瓊杵尊、天照大神へと直接につながる。私は、神の末裔であるというこの一点は絶対に譲ることができない」とお述べになったのです。ですから、詔書では「自分は神ではなく人間である」とはおっしやられていますが、「自分は神の子孫でもない」とは一言もおっしやられていません。

この「神の末裔」という考えは、国民と皇室の絆の始まりでもあります。「源平藤橘」と言われます通り、先祖を遡ればみなご皇室に遠い遠い血縁のある親戚として、われわれ日本人はずっと裾野を広げてきました。つまり、ご皇室が中心におられ、神々の系譜に連なっておられる。そして、われわれはそこから枝分かれし、遠い遠いところで血縁関係にあるーそういう国柄であります。このような王室は世界に一つとして他にありません。比較的歴史の古いイギリス王室やデンマーク王室にしても、王室と国民が血縁関係にあるなどということはどう逆立ちしても絶対に証明できません。

こういう話を大学の学生相手にしますと、「そんな話は初めて聞いた。どんな本を読めばいいんですか」と素直に返ってくるのですが、私と同世代の日本人に話しますと「えらく古い話をしますな。中西先生のような欧米で学問をされた人が、そんなことをおっしやるんですか」と言います。しかし、私は欧米で長く過ごし、向こうの人々の生きざま、精神構造を知るからこそこういう話をするのです。何が彼らを支え、どうやって社会が安定し、伝統が繋がっていくのか。それは、その国の「文明の核心」に当たるものがその国民に意識されているかどうかにあるのです。各々の時代に合わせつつも、その国の「文明の核心」をしっかりと受け継いでいる国民が一番生命力に溢れ、一人一人が幸せに生きている。これが世界の現実です。

世界にはキリスト教があり、イスラム教があり、いろいろな文明があります。しかし、その中で日本は、アジアの他の文明には包摂されることのない、「日本文明」という独自の一大文明圏を成しているのです。万世一系は何ゆえ大切なのか。それは「日本文明の核心」であり、これが守られる限り必ずこの国はよくなるからであります。日本が「一つの文明」として在り続ける限りこの国は必ず甦るーこれが私の学問、私の志の核心であります。

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