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西村議員、かくて上陸に成功す(月刊誌「祖国と青年」平成9年6月号)

祖国と青年論説・オピニオン

江崎道朗(本誌編集長/当時)

■尖閣上陸を選挙公約に掲げて当選した西村議員

昨年十月の衆議院選挙で、新進党の西村眞悟議員が、選挙公約の一つとして「尖閣諸島上陸」を掲げていたことを知った時、「西村議員らしい、実に思い切った公約をされたものだ」と内心思ったものだった。西村議員らしいーとは、終戦五十周年に際して、政府が計画した「戦争謝罪の国会決議」に断固反対を貫き、結果的に新進党を決議ボイコットに追い込んだ、気骨の人であることを知っていたからである。昨秋の選挙で、大かたの予想を裏切って対立候補(共産党)を大差で破った西村議員が、いよいよ公約を果たすため、尖閣諸島に上陸するらしいと聞いたのは、今年に入ってからであった。

二月二十日、西村議員が衆議院法務委員会で、尖閣諸島問題について質問し、次いで三月二十一日にも、衆議院内閣委員会で質問。「再び台湾や香港の活動家が尖閣諸島に上陸しようとしたら、政府はどうするつもりなのか」。舌鋒鋭く、しかし、ごく当然の疑問をぶつけたところ、法務大臣の返答は「重大な問題なので、お答えできません」。その質疑応答の様子をテレビで見た私は、呆れて声もでなかった。尖閣諸島は日本領であり、その領土に不法侵入すれば断固として取り締まるのが法治国家というものだろう。
ペルーの在外公館占拠事件が長期化しているにもかかわらず、相変わらず「平和的解決」を唱えることしかできない政府の無策ぶりとあわせて、僅かに期待をつないでいた橋本政権に対する失望の思いが一挙に強まった。

しかし、西村議員は、失望するだけではなかった。 四月八日にも、衆議院日米安保実施に伴う土地使用等に関する特別委員会で、この尖閣諸島問題について追及。四月十三日には、尖閣諸島を行政区とする石垣島に飛び、石垣市長、市議会議長、石垣島海上保安部等を訪問し、この問題について意見を交換したのである。

そして四月中旬、西村議員がいよいよ尖閣諸島に上陸するらしいーと聞き、西村事務所に尖閣諸島視察の同行取材を依頼、承諾いただいた。

■石垣市字登野城二三九二番地

同行取材が決まったところで、状況を探ると、どうも雲行きが怪しいのだ。尖閣諸島は、絶海の孤島。飛行場などないのだから、当然、船が必要だ。当初は海上保安庁に便宜供与を依頼したが拒否されたため、西村議員は自前で船の手配をしようとしたところ、海上保安部が「西村議員には船を貸さないように」と、地元漁民に圧力を加えているというのだ。

困惑した西村議員に助けの手を差し伸べたのが、石原慎太郎元運輸大臣。石原氏は『諸君!』五月号で、尖閣諸島問題について論じており、西村議員の趣旨に賛同して、英国船籍のクルーザーを調達するというのである。石原氏は月刊誌などでも語っている。「尖閣で日本が退いたら、東南アジアにおける日本の権威は失墜する。また、そんなことになったら、スプラトリーを不法占拠したあの中国は、これ幸いにともっと広大な領域にわたって拡張してくるのは目に見えている。尖閣問題は、中国の覇権主義をくい止め、アジアの安定をはかることができるかということに密接にかかわっている」この時点での計画は、石垣島からこのクルーザーに乗って、西村議員を含めて大勢で尖閣諸島の中でも最も大きい魚釣島に上陸し、そこで一泊するというものであった。魚釣島には、物凄い数のヤブ蚊や太さ三十センチもの巨大蛇がいると聞かされ、大変なところで野営することになるなと思いつつ、石垣島に着いたのは五月四日のことだった。

石垣島は真夏。数日前から準備のために石垣入りした西村事務所の秘書が真っ黒に日焼けして、空港まで出迎えにきてくれた。明日には出港だと勇んでいると、どうも様子がおかしい。

聞けば、海上保安庁(運輸省)が、地主が上陸を望まないことを理由に、尖閣上陸をしないよう西村議員に申し入れている上、総合海運事務所(通産省)が、船舶法第3条「日本船舶に非ざれば不開港場に寄港し又は日本各港の間に於いて物品又は旅客の運送を為すことを得ず」をたてに、石原氏の調達したクルーザー(英国船籍)による上陸の中止を命じてきたのである。不開港とは、外国船籍を受け入れるための体制(例えば入国管理局)が整っていない港のことで、もちろん、尖閣諸島はこれにあたる。

本当に上陸できるかどうか不安を抱えながら、視察団のメンバーが次々と事務局を置いている「グランドホテル石垣」に集合。ちなみに、このホテルの住所は「石垣市字登野城一番地」で、魚釣島は「石垣市字登野城二三九二番地」である。魚釣島と同じ字にいるかと思うと、一気に尖閣が身近に感じてきた。

午後七時過ぎ、西村議員がホテル入りし、結成式を行い、「沖縄県石垣市尖閣諸島視察団」と命名する。その後、この尖閣問題に熱心に取り組んでいる地元石垣市会議員の仲間均議員の誘いで、民謡酒場「島育ち」に繰り出した。そこで聞いた民謡にまず驚いた。

■石垣と沖縄本島の空気は全く違う

酒場のオーナーが客のリクエストに応じて、地元の民謡を歌っている。「次は、いしゃどうたいの歌。この民謡は石垣市出身の伊舎堂という方が特攻隊で出撃したことを題材にした民謡です。この人は出撃すると、故郷石垣市の空を三回回って突っ込んでいった。実話です」と解説し、オーナーが歌い始めた(楽譜はない)。

伊舎堂隊の歌

一、富士の深山に身をすてて
エンジンまわせば 腕が鳴る
めざす目標 敵空母たたきつぶせよ ああ伊舎堂隊
二、重い枕をかかえこみ 行くは東の空遠く
ドンと一発 決死隊 又と帰らぬ ああ若桜
三、母の写真にひざまづき お先にあの世と参ります
国のおんため お母さん
花と散ります ああお母さん
四、僕が戦死と聞いたなら 会いにおいでよ靖國へ
白木の箱がとどいたら
抱いておくれよ ああ思いでに

いきなり、こんな歌を聞かされ、仰天したのは言うまでもない。沖縄本島でさんざん「戦争に対する複雑な思い」を聞かされた体験をもつ身としては、信じられない思いであった。翌日、村の古老に聞くとよく知っていて、本名は伊舎堂用久。大正九年石垣生れで陸士出身。天皇陛下をまっすぐに信じた秀才で、豪放磊落、誰からも好かれる男だった。その遺族はいまも石垣島に住んでいるという。

先の大戦で、沖縄本島は戦場となり、島全体が墓地のようになっており、いまでも戦死者の霊の存在を濃厚に感じさせる。本土に対する屈折した思いも強い。しかし、石垣島はそんな空気をあまり感じさせない。聞けば、石垣島は沖縄本島から搾取されたという歴史がある上、石垣島の先祖は熊野水軍で本土に対する親近感が強いという。事実がどうかはわからないが、たしかに沖縄本島と石垣島の空気は違っていた。

■「政府は行政サボタージュしろというのか」

「伊舎堂隊の歌」に度肝を抜かれていると、仲間市議が、市議会議長の石垣宗正氏と連れ立ってやってきた。二人は昨年、尖閣諸島に視察に行っており、今回の西村議員の行動を全面的に支持しているのだという。

尖閣諸島を領土問題、国家主権の問題として考えてきた私にとって、石垣市議会議長の話はショックだった。

「今度、石垣市議会として尖閣諸島に調査団を派遣するつもりだ。というのは、行政上、私たちがしなければならないことが多い。①固定資産税をとっている以上、三年に一度は実地を確認しなければならない。②住民登録がされている以上、実際に住んでいるかどうか確認しなければならない。③尖閣の魚釣島にはウリが生育しており、沖縄では根絶したミバエ(害虫)がいる恐れがある。だから、ミバエの駆除をしなけれはならない。④ヤギが大量に繁殖しているので、伝染病が蔓延する恐れがあり、適度に捕獲する必要がある。これは尖閣の生態系を守るためにも必要だ。⑤尖閣諸島をいかに開発するのか、石垣市国土利用計画の施策を立案しなければならない。以上、とにかく尖閣は石垣の行政区域なのだから、きちんと管理しなければならない。行政担当者も職務をまっとうするために尖閣に行きたいと思っている。しかし、政府がこの問題に及び腰のため、職責をまっとうできないでいるのだ。だから、まず我々議会がその先鞭をつけたいと思っている。そう考えて、昨年、尖閣諸島問題についてきちんと対処してほしいと思い、政府・外務省に陳情に出掛けたのだが……。」

こう石垣議長は訴える。なるほど、領土であるならば、行政上しなければならないことが山ほどある。それなのに、政府が尖閣問題について曖昧な態度をとっているために、石垣市は現在に至るまで行政サボタージュを余儀なくされている。ほかでもない日本政府の及び腰によって「実効配」は形骸化されつつあるのだ。

■政府の執拗な妨害工作

領土問題に曖昧な態度しかとれない現在の政府が、国境の島民に理不尽な犠牲を強いていることを知って、ますます尖閣上陸へのファイトに燃えた翌五日朝八時、石原氏のクルーザーが石垣港に到着した。

ところが、異例なことに入国管理局(法務省)が外国人船員の上陸許可を出さないのである。明らかに嫌がらせである。それは何とか解決されたが、その後、運輸省の出先機関がやってきて、船舶法第三条に照らしてこの船が尖閣諸島に行けば不開港入港となり処罰されると通告してきたのである。

その後、延々と海上保安庁、海事事務所、入国管理局と、西村事務所の間で折衝が続いた。弁護士でもある西村議員は、「船舶法第一条に日本臣民の所有に属する船舶は日本船舶とするとあるではないか。たしかに外国船籍ではあるが、所有者は日本人である以上、第三条は適用されないはずだ」と訴えたそうだが、海上保安庁らは上陸阻止が目的だから、あくまで第三条を適用すると言い張って譲らない。議論は平行線となり、結局、石原氏が調達したクルーザーの船主に迷惑がかかることを避けるために、クルーザーでの上陸を断念せざるを得なかった。

しかし、このままでは、「中国、台湾を刺激したくない」という一念で上陸を妨害する政府の思う壷である。何とか別の船を探さなければならない。仲間議員らと相談したところ、地元漁民の川満安次氏が所有の漁船で尖閣諸島まで行ってもいいと申し出てくれたのである。この川満氏は実は、日本青年社が北小島に灯台を建てた時、政府に灯台認可申請書を出す代理人になった方であった。

午後八時、視察団は石垣グランドホテルの一室に集合。最終方針が明らかにされた。西村議員と仲間議員、そしてカメラマン二人が代表で漁船を使って尖閣に上陸し、他のメンバーは石垣島に残留ということになった。また、石原氏は、石垣で直したクルーザーの故障のチェックのため試運転の申請をして、西村議員たちの万】のサポートのために尖閣諸島付近まで航海することになった。

石垣島まで来て、まことに残念であったが、まず西村議員が上陸を果たすことが第一である。午後十時過ぎ、私たちは西村議員を、闇夜の石垣港へと送り出した。

■五月六日午前八時半、ついに上陸す

西村議員や川満船長らの話を総合して、その後の経緯にも触れておこう。僅か四トン半、かなり古い漁船で暗闇の石垣港を出港した西村議員一行は、二百キロの夜の外海をひたすら尖閣諸島に向かった。比較的凪ぎであったとはいえ、夜の外海に落ちたら、救命胴衣をつけていてもまず助からない。くれぐれも命綱をつけているよう注意する。

漁船は木の葉のように揺れ、時には船首がニメートル以上もあがる。小用をたそうにも、怖くて船べりに立てない。仕方なく小さな船の片隅ですることになるのだが、波をかぶって船中は水びたし。空は満天の星だが、あたりは真っ暗闇である。延々八時間、夜明けの光の中に、尖閣諸島の島影が見えたという。一番先に目に映ったのは、北小島。

「風が強く、帽子が飛ばされそうだった。海もものすごく荒れていた。尖閣の名の通り、尖んがっていた。魚釣島と北小島の間は五キロぐらい離れている。海は青い。後方に海上保安庁のクルーザー。北小島に日本青年社が建てた灯台が見える。白いマッチ棒のようだ。北小島は鬼が島のようだった」

昨年日本青年社が北小島に建てた灯台を横目で眺めつつ魚釣島に向かい、魚釣島沖合に到着したのは、午前五時四十分頃だった。写真を見せてもらったが、想像よりはるかにでかい。面積にして三・八平方キロもあり、これだけの広さがあれば、戦前まで二百人以上の日本人が住んでいたというのもうなづける。

まず付近を廻り、午前八時過ぎ、漁船を横付けできる場所はないので、魚釣島の入江の入り口付近に船をつけ、そこで錨を下ろしてゴムボートを浮かべた。陸まで十メートル。波が四、五メートルもある上、潮の流れが早い。ゴムボートは揺れる上にどんどん流されて、いくら漕いでも思うように進まない。流れ着くようにして島に上陸できたのが、八時半。西村議員は、衛星電話で、われわれ残留部隊に上陸成功の第一報を入れてくれた。

上陸地点は、明治時代に、島の開発を進めた古賀辰四郎一族が建てた旧カツオ節工場跡の石積や、日本青年社が建てた灯台が立つ海岸であった。ごつごつした岩礁とサンゴ礁でできた海岸に、西村議員は日の丸の旗をまず立て、次いで、この魚釣島でなくなった日本人の慰霊碑に靖國神社から持参した日本酒を捧げた。

沖合には海上保安庁の巡視船が二隻いて監視していたが、西村議員らが上陸すると、向こうもボートを下ろして、ハンドマイクで陸に向かって何か叫んでいる。波打ち際までいった西村議員だがー、「波の音が激しくて、何を言っているか聞こえない。伝えたいことがあるんなら上がってこいと言いましたが、決して岸にあがってこない。国家公務員たる海上保安庁の役人であるから、上陸してはいけないと厳命されていたんでしょう。懸命に何かを叫んでいる様子を見ていて、何か哀れでした」

石原氏の調達したクルーザーが魚釣島の沖合に到着すると、時を同じくして、フジテレビやテレビ朝日のセスナ機が魚釣島上空をしきりに旋回し、絶海の孤島は一時騒然となった。尖閣諸島がレッキとした日本領で、実効支配しているから、こうして取材にも来ることができる。北方の千島上空なら、大韓機同様、ロシア空軍によって撃墜されたに違いない。

■橋本首相の呆れたコメント

西村議員らが島にいたのは、二時間くらい。帰りがまた大変だった。行きは追い風だったが、帰りは向かい風で波まみれ。「船ごとエレベーターに乗せられているような感覚で、ジェットコースターの連続でした」(西村議員)。

石垣港に戻ったのは、夕方の六時。西村議員は濡れたシャツのまま記者会見に臨んだ。

「上陸の目的は、わが国の領土を自国領土と主張することです。日本政府は近隣諸国の感情のみに左右されて、日本の主権を主張することを避けています。しかし、難局にあたって対応を避ければ、かえってよけいな混乱を招く。いまの日本政府はその悪循環にはまっています」

しかし、この西村議員の意図はほとんど政府にもマスコミにも伝わらなかった。梶山官房長官は「海上保安庁の説明を無視して上陸したのは大変遺憾だ」とコメントし、橋本首相も「土地の所有者が上陸を拒否し、その意思を伝達しているにもかからわず、それを一切無視して行動する権利が、国会議員といえどもあるのか」と批判した。

マスコミも「何の思慮もない跳ねっ返りがパフォーマンスをやった」、「中国や台湾ばかりでなく、地元石垣の人も反発している」といったトーンで報道するばかり。予想はしていたものの、ステレオタイプの批判に、私たちは呆れ返った。特に橋本首相のレベルの低いコメントには西村議員も相当怒っていた。ホテルの記者会見でも、「国が国民の所有権を尊重するなら、国家の主権、法秩序を尖閣において確立する努力をし、体制を整えて初めてコメントできる立場になるのではないか」と反論した。前述したように、政府は尖閣諸島に対する行政を事実上放棄しており、そのことは地元石垣の一部議員たちの憂慮するところとなっているのだ。

なすべきことをしない政府が何をいうか、という西村議員の気持ちは、決して西村議員個人のものではない。心ある石垣市民の気持ちでもある。マスコミ各社はせっかく石垣島まで取材に来ているのだから、その点も報じてほしかったのだが、実際に報道されたのは中国や台湾、香港の一部の人々の反発の声だけ。石垣市民の声は報道する価値がないということなのか。

■あの朝日新聞が「国益」を口にし始めた

自国の主権を主張することよりも、中国や、台湾・香港の中国派のご機嫌を損ねないことに重きを置く一部マスコミは、西村議員の行動を貶めるためにさまざまなキャンペーンを張った。

その一つが、西村議員の選挙民も今回の行動に反発していると報道することだった。テレビでそれを知った西村事務所の秘書は顔色を変えて、「そんなことは絶対にあり得ない」と、地元選挙区に連絡を入れて確認をとった後、こう語った。

「西村は公約を果たしただけ。絶対に支持してくれている。後援会の人達はみな西村のやりたいようにしてあげたいと思っている人ばかりだ。ただし、尖閣上陸のことは事前には知らせていないから、びっくりはしているかも知れないが………ちなみにテレビで、批判していた選挙民というのは、私たちの後援会とは全く関係はない」

汚職の温床となっている地元への利益誘導などではなく、尖閣諸島という国益を訴えて堂々当選した西村議員の行動を非難することで、マスコミはどうしようというのか。おとなしく利益誘導に徹しろとでもいうのか。公約を守るなというのか。

朝日新聞に至っては、社説(五月七日)で「独り善がりは国益を損なう」ときた。朝日新聞から「国益」という言葉を聞くとは思ってもみなかったし、逆説的に言えば、朝日新聞を、領土問題に関して「国益尊重」をロにせざるを得ない状況に追い込んだだけでも、今回の西村議員の行動は意義があったと言えよう。

■政府も腹を固め始めた?

また、西村議員は今回の目的の一つは、昨年十月に尖閣諸島に不法上陸した香港の活動家らを逮捕しなかった政府の姿勢をただすことにあった。この目的は十分に達成されつつある。何よりもあの朝日新聞が同じ「社説」の中で、「政府が尖閣諸島の領有権を主張し、主権の侵害があれば毅然とした態度をとる。それは当然だ」と述べたのである。

読売新聞によれば、政府も五月八日までに、尖閣諸島に上陸を試みる外国人を実力排除する際の対処方針を固めたという。具体的には、外国人が上陸目的で尖閣諸島の領海内に入ろうとした場合、①海上保安庁の巡視船などで警告する、②警告に従わない場合は、巡視船などで相手側の船舶に体当たりするなどをして停船させ、場合によっては拿捕に踏み切る、③上陸した場合には入国管理官や警察官が出入国管理及び難民認定法違反で現行犯逮捕も辞さないーなどとしている。政府がこうした措置をとるのは、「強硬手段をとることで、全世界に日本の実効支配を明らかにする」(政府筋)ことに加え、日中政府間による冷静な話し合い解決に持ち込むため、支障となる民間人の突出した行動を排除したいという狙いもあるという。

もっとも、これのどこが強硬手段なのか理解に苦しむ。中国やロシアならば、有無を言わさず銃撃し拿捕・抑留し多額の保釈金を要求するに違いない。第一、ペルー人質事件で懲りたはずなのに相変わらず「話し合い解決」などというたわごとを繰り返七ているのが不満だ。

しかし、それでもこれまで西村議員がいくら追及しても「適切に排除する」としか言わなかった政府が「拿捕・逮捕」を明言したことは一歩前進だろう。この政府の方針を受けて、海上保安庁は、十八日に計画されている香港の活動家による上陸計画を阻止するために、十八日に東京湾で予定していた観閲式をとりやめた。この日本政府の対応に、上陸を計画していた香港・台湾の活動家たちは、十八日に予定していた上陸を断念した(五月十九日現在)。西村議員が指摘しているように、「日本が毅然として国家の機軸を打ち出せば、中国人は損なことはしないので、上陸するようなことはしない」のである。

アジアの真の平和と国家主権の確立のため、「偽りの平和」を打破しようとした西村議員の勇気ある行動によって、尖閣、そして我が国の領土問題をめぐる内外の空気は、大きく変り始めている。これまでも幾度となくこの問題を国会の場で取り上げ、これ以上国会で追及しても難しいと判断した上での、ある意味で十二分に考え抜かれた今回の西村議員の行動は、国家変革の大きな橋頭堡を築くことになったのである。

 

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